寄り添うってなあに?相手と自分の気持ちにもっともっと近づくために大事なこと

こんにちは!ayaです!
お手に取っていただきありがとうございます。

今回のテーマは「寄り添う」です。


指導案や月案の援助項目によく出てくる言葉ですね。

皆様はこの「寄り添う」について深く考えてみた事はありますか?

「寄り添う」とは、辞書によると
相手の気持ちに共感すること、受け止めること、問題解決の手伝いをすることだそうです。

私たちも漠然とその感覚を持って
子どにも大人にも接しているとは思いますが、理想と現実のギャップは大きいように思います。

イヤイヤ期の子どもの気持ち全てに
寄り添っていても、それは本当に
その子のためになるのか?

嫌味を言ったり、無視をしたりする相手に自分を殺してまで寄り添う必要性は
本当にあるのか?

寄り添うと一口に言っても、それに付随する問題が山のようにあると私は考えます。

そんな複雑な「寄り添う」について
考え直す出来事が2つあったので
少しお話させてください。


1つ目は、以前担任をしていたクラスで出会った3歳児の男の子の話です。

その子はいわゆるグレーゾーンと呼ばれる部類の男の子で、

自分の好きな時間に好きなタイミングで
好きなことをしたいタイプの子でした。

自分が1番になれないと激しく怒り暴れだし、友達の髪を掴んだり体を押したりする事は日常茶飯事。

でも思考はしっかりしていて、自分の中にルールや決まりを持ち、

感情が落ち着いていれば、ちゃんと言葉にできるような、そんな子でした。

私もそれなりにその子の気持ちに寄り添って保育ができている気でいました。

そんなある日、いつものように1番になりたくて急いで食事を食べ、走って片付けに向かい、歯ブラシを取りに洗面台に向かうと

もうすでに食べ終わった子がいたことに気づき、カッとなって突き飛ばしてしまいました。

さすがに怪我につながる恐れがあったので、私も

「危ないでしょ!どうしていつもそんなことするの?!先生いつも言ってるよね!?それはいけないことなの!」

と、毎日繰り返される行動にイライラしていた部分もあるかもしれませんが、普段以上に怒ってしまったなと声を荒らげてから気づきました。

そんな私の気迫に驚いてか、その子も何も言えなくなり

ポロポロ泣きながら怒って暴れ出したい気持ちを押さえているように見えました。

私も少しずつ冷静になり、

「大きな声出してごめんね。
でも〇〇君ができると思うから、
先生はやめてって言ってるんだよ。」

と伝えると

「だってね、体が勝手に動いちゃうんだもん」

と返って来ました。

その言葉を聞いた時の衝撃と
その子に対しての罪悪感は
今でも鮮明に思い出します。

これまで、いろんな子どもたちにかけ続けてきた

「できると思うから」
「信じてるから」

なんて言葉は大人のエゴなのかもしれない。

きっとその子は、友達を突き飛ばしたり、つかんだりする事は「悪いことだ」
なんて事はとっくにわかってて

でも衝動的に動いてしまう体にどうしようもなく戸惑っていたんじゃないかな

毎回こうなってほしいと、期待の気持ちでかける言葉が彼にとってすごくプレッシャーになっていたんじゃないかな

と、気づかされる出来事でした。

「できると思う」なんて、
こちら側からの視点でしかなくて

その子の立場に立った気持ちや、その行動に至るまでの経緯や背景や

どうにもできない衝動に寄り添うのが遅くなってしまったな、と反省しました。


2つ目は、保育を離れて、プライベートの話になるので

ご理解ある方だけ、読み進めていただければと思います。

以前も、どこかでちらっと
お話したことがあるのですが、

私は軽度のモラハラ男性とお付き合いをさせていただいていた時期があります。

「お前は底辺なんだ」とか
「本当に頭が悪いな」とか

そんな分かりやすく自己肯定感を奪う言葉を述べるタイプではなく

普通は返信早いはずだよ、好きならね」

「なんかちょっと太った?まぁ、一般的に見て痩せてるからいいか」

のように

彼の中での基準=普通、一般的」を武器に、私の心をじわじわと蝕んでいくような、そんな発言が多かった気がします。

わたしが意見を述べると

「結局、お前はこう思ってるんだって!」「相変わらず性格悪いよね」

と、わたしの気持ちを決めつけたり

話を強制終了されたりして

どんどん、今自分がどんな気持ちなのかが分からなくなっていきました。

気持ちに「正解」「不正解」をつけるようになりました

友達に言わせれば、「完全にモラハラじゃん!」らしいのですが、

当時の私は「自分がそんな人を好きになるはずない」と信じたい部分もあって

優しい部分を一生懸命探して、「でも好き」「だけど好き」を並べ上げて

彼と離れた瞬間に泣き出す自分
嫌われないように気持ちに嘘をつく自分や、彼が求める私を演じている自分

無視し続けてしまいました。

そんなこんなで気づいた時には
相手に寄り添いすぎて、自分に寄り添うことを完全に忘れた状態になっていました。

どうしても人間は他己評価を気にする生き物なので、外観することが多いのですが

「今自分はどう思ってる?」
「自分はどうしたい?」

定期的に内観して寄り添ってあげる大切さに気づくきっかけをもらいました。


様々な人がいて、様々な考えが充満する
この世の中で、「寄り添ってる!」と
慢心することが1番怖いこと
だと思います。

時折立ち止まって、多角的に相手の気持ちを捉え自分の気持ちを加味する時間をもつこと

「寄り添う」上でとても重要だと思います。

相手にも自分にも優しい目を向け続けられることが真の意味での「寄り添う」です。

少しでも、「寄り添う」について
考え直すきっかけになってくだされば幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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